206)伊達博物館館長 本田先生の執筆記事。宇和島の歴史の節目に立ち会った天赦園、築庭の背景 

何をしてきたのか。なぜそうしてきたのか。
地域の歴史とその意味を知れば同じ事実が全く別の認識や価値感を生み出すように感じました。
それを知ることが地域への自信と誇りの源にもなるように思います。
地域への自信、誇り、愛郷心。これをなくして地域の苦労を背負ってまでして、何とかしたい(押しつけではなく)、そういう心情は生まれてくるものでしょうか?

何がどうした。そういう表面的な現象としての事実ではなく、なぜそうしたのか、どのような考えや思いがそこにあったのか。
その結果どうだったのか。その意味をこそ伝えたいですね。
そのことが地域への献身と地域の伝承に対する内なる動機の源泉になると思いました。

たとえ苦労があろうとも、大切なものを受け継ぐ。そういう行動をすることの意義や納得。そして、やりがいに気付かせてくれると思います。

六代村壽(むらとき)の時、日本全国凶作で宇和島藩も困窮を極めた。吉田藩では歴史に残る「武左衛門一揆」も起こっている。宇和島藩はこの危機を乗り越え、宗紀(むねただ)に引き継がれる。藩主として腕の見せ所であった。

きずな ホンダ先生 縮小

フォローする