321)第2弾 城内章さんの漫画がおもしろい! 「宇和島出身 土居 通夫(通天閣を建設した明治の大阪を代表する実業家)」の巻き

城内章さんの漫画がすごくおもしろいです!(城内さんのFacebook
今回は、幕末の宇和島藩士、明治時代の実業家の土居通夫さんです。


第5回内国勧業博覧会を成功させ、商都のシンボル「通天閣」を建設した明治時代の大阪を代表する実業家。鴻池の大番頭としても知られる。

青年期までの生い立ちは複雑で、容易には書き切れない。天保8(1837)年宇和島藩の下級武士大塚南平の六男に生まれた。幼名万之助。生活が苦しく4歳で同僚松村彦太郎の養子になり、松村彦六と称して田宮流の剣を学んで免許皆伝。また学問を好み、兵学・儒学・蘭学と手当たり次第学び、よほど聡明(そうめい)だったのかほぼ独学で、大変な知識と教養を身に付けた。

万延元(60)年生家に戻り、父南平の実家の姓土居を継ぐがすぐに中村茂兵衛の婿養子になり、中村彦六と名乗る。ところがたった1年で妻が病死、再び生家に復帰。土居彦六と称して大坂に移り、職を探してさまよううち貸金業の高池三郎兵衛の手代となり、得意の算術と、暴漢に襲われやすい三郎兵衛を剣術で助け、抜群の知遇を得る。三郎兵衛は二畳庵桃兮(にじょうあんとうけい)の門下で俳諧好き、のちに通夫が俳人として知られるのも、この主人の手ほどきによる。

慶応2(66)年、坂本龍馬を知り意気投合、高池家を飛び出し国事に奔走する。そろばんのできる勤皇派の志士として珍重されるが、特に鳥羽伏見の戦いのおり宇和島藩の糧米を大坂蔵屋敷に搬送するのに功績があり、明治維新後、旧藩主伊達宗城が大阪鎮台長官に任じられるや彼は彦六を外国事務係に採用、五代友厚の大阪運上所(税関)のもとで敏腕を振るわせることになる。

土居 通夫(上) [なにわ人物伝 −光彩を放つ−] – 大阪日日新聞から)

大阪日日新聞の特集へのリンク
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/100821/20100821052.html http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/100828/20100828040.html

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