117)人と地域の繋がりを支える拠り所 「縁」 「恩」

人と地域の繋がりを支える拠り所 縁 恩

「地方における教育の目的を再検討する」
今回は、三菱UFJコンサルティング&リサーチのレポートを紹介いたします。
少々…、お堅い内容になりますがどうぞお付き合いください。
今の、そしてこれからの、南予と宇和島の持続性に関してとても大切な気付きを与えてくれる指摘だと思います。

少々乱暴ですが、下にリンクを貼ったレポートの前半は一言でいうと、地方にとっての教育目的をどのように定義していくかという問題提起です。
レポートの後半については、しめくくりの部分をそのままここにコピペしておきます。

~その地域で学んだという「縁」は「資産」である~
童謡「ふるさと」には、「志を果たして いつの日にか帰らん」という歌詞がある。しかし、「地方消滅論」を突き付けられた地方部にあっては、「それでは遅い」というのが本音ではないだろうか。むしろ、たとえ「帰ってこない」としても、地域と繋がり続ける仕組みがいま必要とされているのではないだろうか。
こうした時、人と地域の繋がりを支える拠り所となるのは、「その地域で育てられた」という「縁」と、「だからこそ今の自分がある」という「恩」ではないかと筆者は考える。もちろん、こうした考え方を個人に強制することはできないが、そのような思いを育む教育投資を、地域ぐるみで進めていく必要性があるのではないか。そして流出人口を、地域が積み重ねてきた「資産」として捉える発想の転換が求められるのではないだろうか。

南予と宇和島はこれから大変厳しい状況を迎えます。
人口減少。少子高齢化。労働力不足…等々。社会情勢のトレンドが大きく変わろうとしている今。
教育の目的とは何か?何のための、誰のための、誰による教育なのか?
これまでと、これから。教育のあり方。それは同じでいいでしょうか?
いわゆるいい大学へ進学し、いい会社に就職する。
それがいいことである。多くの人が疑いもなくそう考え、実際それでうまくいっていた時代。
これまでの学校教育は、結果として人を地方から都市部へ流出させる機能を担ってきた側面があるのではないか?これからもそれでいいのだろうか?
それが、これからの人と社会の真の幸福に合致するのだろうか?

これまで…、
地域は、地域の担い手の教育を学校に丸投げしてきた側面があることは否定できないでしょう。(全てではないにしても…。ただ宇和島ではここに希望があると思っています。)
一方、学校の方はといえば、偏差値の高い高校、偏差値の高い大学に何人卒業生を送り込むか。これが目標であり、業績であったという側面を完全には否定できないのではないでしょうか。

教育の目的、教育の在り方。
これについては、唯一正しい答えがどこかにあるということではないと思います。
人々の価値観の数だけ、答えは存在していると思います。
でも、それぞれ、バラバラでは発散するばかりで、大きな力は生まれません。
そして、大都会になればなるほど、その答えと「地域」との関連性は薄くなるとも思います。

宇和島ではどうでしょうか?
かなりの部分で方向性を重ね合わせることができるように思います。

理由は、人と人がつながっているから。
個別の事情はそれはそれとしてあるかもしれません。
ですが、宇和島が好き、大切。
そう思っている方がたくさんいらっしゃるのを知っています。

一点、この部分では想いを共有していると思えるのです。
したがって一致団結できると思うのです。だからチャンスはあると思います。
学校は子どもと地域のために、地域は子どもと学校のために。

http://www.murc.jp/thinktank/rc/column/search_now/sn160119 http://www.murc.jp/thinktank/rc/column/search_now/sn160301

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