310)森羅万象に多情多恨たれ。フリー編集者の宮本幹江さんの投稿(愛媛新聞)。深いです。

1月24日の愛媛新聞。「四季録」の欄です。
フリー編集者の宮本幹江さんの投稿です。
深いです。最後の一行にも考えさせられます。社会が成長期の終わりを迎え、成熟期に入って、ものの見方や価値観を見直さなきゃいけない。
宮本さんは、同じ状況であっても見方を変えることで希望やチャンスが生まれるということをおっしゃっているように思えました。

山下祐介さん(首都大学東京准教授)は、地方には「仕事がない」のではなく、「若い人が就きたいと考える仕事がない」のであって、地方にある仕事と若者の就業意向とがミスマッチを起こしていると指摘している。

では「若い人が就きたいと考える仕事」とは何か。
先の山下さんはそれを「職業威信の序列化」という観点から説明している。

とあります。
そして…、若者に対して、次のように記述するとともに50歳半ばのご自身にも宣言して結ばれています。
「職業威信の序列化」
どのようにしてこうした状況が生み出されるのか。そこを考えると打つべき手は見えてくるように思いますし、宇和島では一部既に実行されています。(ただし、当事者がそのような意味や価値を認識しているかどうかは微妙かも。ここにできることが見えてきます。)

ぜひ既存の序列に惑わされない職業人になってほしい。もっと言えば、人生を通じて大いに万物と交わり、一度しかない人生を謳歌してほしい。森羅万象に多情多恨たれ。開高健さんのこの言葉を、若者だけでなく50歳半ばの自身にも送ろう。

なお、記事の中に出てくる首都大学東京准教授の山下祐介さんの論文(衆議院調査局の「RESEARCH BUREAU 論究(2015.12 第12号)」)を以下に紹介します。
次のような記述があります。

中央集権・一極集中の裏側には依存がある。それゆえ、単に国から地方自治体への権限委譲だけが必要なのではなく、国民一人一人の社会への主体的参加や共同形成を促すことが必要でもある。そこでは現在の経済至上主義的な競争志向から、ゆとりある暮らしを実現する生活重視志向への価値転換も不可欠となろう。これらをふまえれば、依存=集権国家から、自立した地方分権国家への移行が、今回こそ本気で求められているということになる。

そして最後はこのように結ばれています。

都市と農村が、中央と地方が、そして経済と暮らしが、相反せず両立し、多様な人びとが互いに連携し、共存しうる状態を、いかなる形で導き出せるのか。このことが人口減少という事実に向き合って政治・行政が目指すべき目標であり、国民を適切に誘う道すじである。そしてこうして立て直された社会こそが、さらなる成長に向けて新たな歩みをはじめることができるのである。

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