148)伊達藩校の復活が宇和島の可能性になる(第1回)

「伊達藩校」の復活が宇和島の可能性になる!
このことについて、今回は次の二つのことに注目を当ててみます。

■一つ。
独立総合研究所(青山繁晴氏社長)のホームページを見てみます。
(藩校や寺子屋に関して、非常に示唆に富んだ見方が示されています。)

■二つ。
うわしん NEXT100 プロジェクトによる絵本(つまり伊達・宇和島の歴史)を見てみます。
(そこに表現されている宇和島の歴史の中にもヒントがあるように思います。)

どういうことかというと…、

生まれ育った故郷に愛郷心を持ち、同じ想いの仲間と志を重ねる。そのような次世代を担う若者が必要な知識と技術を身に付けることができたなら、これからの宇和島を待ち構える厳しい少子高齢化・人口減少に対しても大きな可能性が生まれてくる。

「伊達藩校」による、そうした人材の育成が、その可能性を確かなものにする。
そのように思います。

何を突拍子もないことを…。そう感じる方もいるかもしれませんが、決してそんなことはないと思います。

今回から数回に分けて、それがはたして本当に突拍子もないことなのかどうなのか、現実的にどのような意味を持つのかを考えていきたいと思います。
表現の仕方は異なりますが、既に同様の考え方に基づき実行に移し、結果を出しつつある地域もあります。
次回以降そうした事例もあげつつ、宇和島の持続可能性とそのために私たちができることとして何があるのかを具体的に探っていきたいと思います。
その過程で、宇和島で現に様々な取り組みをされている方々のことについても、取り上げていくことになると思います。

今回は、初回です、
具体的な中身に入る前に…、藩校による人材育成に関して冒頭の二つの事項を見ておきます。

◆一つ目。
独立総合研究所のホームページに次のような記述があります。
ひとことで言えば、地域を支える人材育成が、「縦」の継承に欠けた、年齢別の「横」で教育するシステム(学校)に丸投げになっているということを否めないという感じでしょうか。
宇和島でも、高校卒業前後を境界として、大人社会(地域の現実の社会)と子ども社会(学校の塀の中の社会)に不連続の大きな谷間があることは否定できないと思います。

寺子屋や藩校の教育の最大の特徴は何か。
それは「縦」である。
年齢の違う子どもを「縦」に収容することによって、年上の子供が年下を愛しみ、年下の子供が年上を敬い、そして子供同士で育つことによって自立の精神を育むことができた。

教育をめぐっては、むしろ明治以降、西洋式に子どもを年齢で横に輪切りにする教育を行い、それが今日(こんにち)まで続いている。

もちろん現代の教育を江戸時代に戻すというのではない。
年齢別に「横」で教育する現在のシステムに、寺子屋式の「縦」を噛みあわせ効果をあげるのが、新しい志である。

近年、わが国の小学校では体験型授業の重要性をよく知り、実践している意欲的な試みがある。しかし重要な課題はある。
たとえば、有名私立中学への進学を望む父兄にも、その意義を充分に感じさせているかどうかである。受験勉強にもしっかり役立つ体験型授業でなければ、ほんとうには普及していかない。

小学生から青年、成人層まで、これまでの学校教育だけでは学ぶことができない、実社会から発せられるコンテンツが求められているといえる。

わが国で現在行われている年齢別に輪切りにする「横」教育に、年齢差をむしろ活用する寺子屋式の「縦」教育を組み合わせる。
対象は、小学校入学前の子どもから、小学生、中高生、大学生、大学院生、そして青年・成人層まで、すべての年代に及ぶ。

詳細はこちら↓をご覧ください。
ありとあらゆる教育の本質は、その教育が育てた人材こそを見れば、把握できる。

◆二つ目。
第1弾 伊達秀宗公物語
注目すべき記述をひろってみます。
次は表紙です。子どもたちにも親しみを持ってもらえそうな、それでいて凛々しい姿ですね。
伊達秀宗公物語表紙40

次は、「伊達秀宗公物語」の最後のページです。
次のような記述があります。ここ最近の宇和島、これから予測される宇和島、そのことを想えば非常にしみてくるものがあります。

「わたしたちが大人になり、子どもをもち、孫ができるころ、そして、次の500年の時には、わたしたちの街、宇和島はどのようになっているでしょうか。

秀宗公がひらき、ここに住む人びとが、受け継いできた歴史と文化、海と山に囲まれた自然豊かな宇和島に誇りを持ち、しっかりと未来へ残し、つなげていきましょう。
引き継ごう笑顔と愛と郷土の文化40
うわしん伊達文化 NEXT100 プロジェクトの趣旨説明があります。素晴らしいです。
宇和島地域は、宇和島伊達家の歴史とともに、市民の生活文化、経済・産業が発展してきた背景があります
宇和島藩伊達家 初代藩主 伊達秀宗公が宇和島に入部し、2015年で400年を迎える節目に、宇和島地域に生活し、この街に生かされている私たちの使命を認識し、未来の経済発展を見据え、次世代へとつなぐ大切な機会にしてまいりたいと考えます。」
うわしん伊達文化NEXT100プロジェクト40

第2弾 伊達宗紀宗公物語
ここも注目すべき記述をひろってみます。
藩の苦境をどう乗り切ったか、絵本の中にそのヒントがあります。
伊達宗紀公物語表紙40パーセント

次は、伊達宗紀公物語の冒頭部分です。
「江戸幕末期から明治初期は、日本が大きく変わっていく時代でした。」
「宇和島藩を継いだ宗紀は、この苦しい状況を変えようと乗り出しました。
これからの宇和島のことを考えれば、「大きく変わっていく時代」という情勢は重なるところがあります。宗紀公はどのように対処したのでしょうか?
「倹約」という心がけもあったようですが…、ほかには…。
1ページ 日本が大きく変わっていく時代40
ここですね!
これから宇和島は間違えなく厳しい時代を迎えるわけですが…
「宗紀は、このような厳しい時代には、何よりも人の教育が大切だと考えました。
武術や学問をすすめ、日本の将来を担う若者たちの育成にも力をつくしました、」

そして脚注にこうあります。
「藩政時代からの優秀な子弟を教育する藩校が城下に設けられた。人の教育が大切40
今回の記事の最後に。

↓のページは第1弾 秀宗公物語の最後のページなのですが…。
宇和島信用金庫さんの企業理念体系が示されています。
「宇和島信用金庫IDEAは、私たちの目指すべき方向やあるべき姿を定めた、企業理念体系です。
企業理念は創業の精神を尊重した「愛郷心と人生美の創生」とし、目標とすべき5つの方向軸を明確にしています。」
未来を担う子どもたちに、宇和島のすばらしい歴史・文化を知って欲しい、そして長く継がれていくものを残していきたいとの想いです。」
とあります。
本当に素晴らしいと感じます。

宇和島信用金庫 IDEA40

次回は事例なども紹介しながら、宇和島でのことについて考えてみたいと思います。

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